【かながわ経済新聞 6月号掲載】

第1回 青山プラスチック塗装

新しい視点「二刀流」で挑戦

■ユニークなアプローチ

改めて語るまでもなく、多くの中小企業の経営者にとって、手塩にかけて育ててきた会社はできれば、息子など血を分けた親族に受け継いでもらいたいというのが本音であろう。その一方で、息子や娘の側にものっぴきならない諸事情があり、スムーズなバトンタッチは、さまざまな助成金や支援制度が充実していても成就はたやすいものではない。これもまた、関係者の多くが認める事実である。
そうした中、“シン・事業承継”とも言うべきユニークなアプローチで、この問題に取り組んでいる会社がある。青山プラスチック塗装(川崎市高津区)だ。同社を率いる青山宗嗣社長は、創業者である父親から2010年に会社を引き継いだ。

自社加工製品を手にする青山社長

改めて語るまでもなく、多くの中小企業の経営者にとって、手塩にかけて育ててきた会社はできれば、息子など血を分けた親族に受け継いでもらいたいというのが本音であろう。その一方で、息子や娘の側にものっぴきならない諸事情があり、スムーズなバトンタッチは、さまざまな助成金や支援制度が充実していても成就はたやすいものではない。これもまた、関係者の多くが認める事実である。
そうした中、“シン・事業承継”とも言うべきユニークなアプローチで、この問題に取り組んでいる会社がある。青山プラスチック塗装(川崎市高津区)だ。同社を率いる青山宗嗣社長は、創業者である父親から2010年に会社を引き継いだ。
当時は今日のように多彩なサポートメニューが整備されていなかった時代であり、しかも父親は、経営の数字を追うよりも、手を動かす方が好きという根 っからの職人肌。青山社長は工場長という立場で、製造現場のノウハウを半ば手探りで習得するとともに、別途設立した有限会社APTを通じて財務を中心とした経営のイロハを学んでいった。だが、苦労や失敗は「数えきれないくらいあった」と振り返る。
その父親は60歳を迎えた時に「引退」を決意、会長へと退くことになったものの、青山社長の悩みがそれでなくなったわけではなかった。一般に、事業承継の際に欠かせない要点は、「人」と「資産」に加えて先代が築き上げたブ
ランドや信頼、人脈、技術といった「知的資産」だと言われる。このうち知的資産の重要性は財務諸表などに表れにくい要素だけに、自らがトップのポストに就いて、初めてその存在や重要性に気付かされるケースも多い。
青山社長の場合、父親が、ひそかに取引先などに向け「うちの息子は代表の器だ」などと随所で語っていたことがプラスに働き、スムーズに周囲に「受け入れられた」。一方で、一から構築し直したり、改めて学び直したりしなければならない案件も少なくなかった。加えて会長となっても、生涯、会社を経営する立場にいたいという意欲をなくさなかった父親の処遇も課題となった。

■「二水会」に活路

青山社長はまず、川崎市青年工業経営研究会(通称・二水会)に解決の場を求めた。同会は川崎市内に拠点を持つ中小モノづくり企業の後継者や若手経営者が、「腹を割って」それぞれの経営課題を話し合い、体得した知見やノウハウを相互に活用することで会員企業の発展に役立てるのを目的とする集まりで、毎月第二水曜日に例会を開いていることから二水会の名が付いた。
青山社長は同じ境遇に立つ会のメンバーらとの議論を積み重ねながら、人脈を広げ、トップとしての自覚と責任を再定義し、自身を磨くことで周囲からの信頼をより高めていった。
さらに現在は、同会の会長として、自身の苦い経験を他山の石としてもらうべく、会の改革にも乗り出している。会員各社において社長の若返りが進んできたことから、若い世代がより主体的に運営に携われるようにしようとしている。組織の新陳代謝を促すと同時に、ここで役職を担った経験を自社の経営や他の経済団体の運営にも生かせるようにしたいという思いが背景にある。

■「事業介護」という考え

もう一つの注目点が「事業介護」と名付けたユニークな取り組みだ。青山プラスチックは川崎、横浜の他3社と共同出資した「合同会社Pst」をプラットフォームに、コンソーシアムを組んで、それぞれの強みを持ち寄って顧客のニーズに応える共同受注体を運営している。併せてPstでは、「死ぬまで社長をやりたい」という創業者の引退後のライフプランのサポートを行うとともに、後継者探しや技術支援などに関するソリュ ーションも提供している。こちらは文字通り、継承完了後もトータルで支えていこうという試みである。
日本の産業界にとって喫緊の課題となっている事業承継。青山社長が放つ “二刀流”の挑戦は、後継者問題に悩む中小企業に、新たな「気付き」を与える補助線になりそうだ。

取材 かながわ経済新聞