【かながわ経済新聞 9月号掲載】
第4回 山一
「計画的な後継者育成」が実を結ぶ
■肩肘張らず自然体で
武道やスポーツの分野だけでなく、ビジネスの場においてもリーダーシップや交渉事での要として語られることが多い「自然体」。しかしこの言葉ほど、「言うは易く、行うは難し」とされるものはないのでなかろうか。自分をよく見せようと気負ったり、反対に無理に卑下したりしても長くは続かない。発言や振る舞いの継続性、一貫性が重視される企業のトップとなればなおのこと、自然体が大切となる。肩肘を張らず、ありのままの姿でステークホルダーに接することが、結果として信頼を勝ち得る近道のように思われる。
1956年4月の設立なので、今年で68年目を迎えた山一(川崎区)を2021年から率いる田﨑浩資社長も、そんな自然体でもって事業承継を果たした。タイの製造子会社で事業のリストラクチャリングなどに奮闘していた同年の夏、2代目社長である父親から突然「代わってくれ」と告げられ、経営のバトンを受け継いだ。
同社はエアコンや冷凍冷房用コンプレッサー部品を中心に、鉄道車両向けの冷房機フレームや自動車用各機構部品などを手掛ける。鉄やステンレス、アルミの大型・精密板金加工、金属プレス加工、スポット溶接などを得意とする。
主要取引先には日本人なら誰でも耳にしたことがある重電メーカーや家電メーカーが並び、当然ながら、供給責任は極めて重い。事業運営に関わるプレッシャーの大きさたるや想像に難くないが、本人は、以前から各工場に権限を大幅に委譲しているため、「社長が不在でも工場長中心に仕事が回るような仕組みになっている」(田﨑社長)と意に介さない。自身は専ら、財務と中・長期の経営戦略の方に重きを置く日々なのだと打ち明ける。
■良好な関係
若い新しいトップが、古参や職人も多い従業員らと、良好な関係を短期間に築けたのは、当然ながら事由がある。
一つ目は25歳の時に山一に入社し、時間をかけて、3代目であるということを社内に自然なかたちで浸透させられたこと。落下傘的な降下でいきなり就いては、必ず反発を招くというものだ。加えて入社後は、直ちにプラスチック成型会社に2年間出向し、「他人の飯を食う」ことで視野を広げた。
二つ目は、タイの子会社の現地責任者を経験したことにより、会社を運営し、その社員と家族らを養うという自覚と責任を若くして体得できたことが挙げられる。そこで学んだ知見と経験と実績が、親会社の舵取りを担う立場になってからもシ ームレスに生きた。
三つ目は、独立行政法人・中小企業基盤整備機構が運営する中小企業大学校で「経営後継者研修」を履修したことが、主として「心構え」の醸成に役立ったと話す。日本全国の、同じ境遇にあるジュニアらと10カ月間、実質的に寝起きをともにすることで、経営者に必要となるマインドや能力といった部分を磨いた。
もちろん、こうしたキャリアパスが可能であったのは、2代目の田﨑正海前社長(現会長)による計画的な後継者育成への意志があったことは、改めて指摘するまでもないだろう。実際、主要顧客の調達戦略の変更や技術革新の進展などによって山一の経営も大きく揺れ動き、製造拠点の整理・統廃合などを迫られた状況のなかでも、この部分だけは終始一貫揺るがなかった。
■M&Aで領域拡大
このように、理想的とも言える形で会社を受け継いだ田﨑社長だが、事業を巡る環境は変化のスピードをより増している。油断はひと時も許されないとあって、22年6月には村上製作所(綾瀬市)を傘下に収めて事業領域を医療分野へ拡大する一方で、社員への還元を含めた福利厚生なども充実させて従業員のロイヤルティーを高めることにも心を砕いた。
これらに通底するのは、山一らしいものづくりに、さらに磨きをかけようとする田﨑社長の静かな闘志の表れにほかならない。
取材 かながわ経済新聞