【かながわ経済新聞 2月号掲載】

第9回 田代精工
事業承継は「運命」のようなもの
こう言ってしまえば身もふたもなく、昨今のコンプライアンス基準に照らせば「イエローカード」かもしれない。しかし、あえて言うなれば「おんなは度胸」という表現が一番しっくりくるように感じられる。同名でヒットした連続テレビ小説では、老舗温泉旅館の女将に図らずも任命され、周囲の人たちとの葛藤に苦しみながらも、時代に合わせて旅館を着実に立て直していく女性主人公の姿が生き生きと描かれた。
■帰国し腹くくる
田代精工(幸区)を2020年から率いる伊藤千佳子社長の生き様も、負けず劣らずのエピソードに彩られている。「事実は小説より奇なり」を、地で行くような場面もあったと聞く。ただいずれにせよ、経営あるいは人を率いるとは、その人自身の生まれつきの資質が左右するものであることが、半生を伺って改めて理解できる。
同社は、千佳子社長の父親である伊藤秀雄会長が1970年にゼロから立ち上げた。創業当初から、金属加工に欠かせないドリルやエンドミルといった切削工具、特殊刃物の再研磨、特殊刃物への改造、刃物の寿命を延ばす各種コーティングなどをなりわいとしてきた。

会社の全てを才気で引っ張る父の姿を間近で見て育った千佳子社長だが、次女であったこともあり、“後継者”としては見られていなかったと振り返る。好きな英語を生かすためアメリカに留学。その後、カナダ人と結婚し、カナダで2人の子育てにいそしんでいた。
ところが2016年、さまざまな出来事やタイミングが重なった結果、再び日本での暮らしを始めることとなった。一連の推移を見ていた秀雄会長が「お前がやってみるか?」と問いかけ、千佳子社長が応えたことが事業承継のきっかけとなった。千佳子社長の方も、他に候補がいないことが十分分かっていただけに「やります」と腹をくくった。
一旦肝が据わると、今も昔も女性は強い。時には父と経営方針などを巡って大げんかしながらも、勧めに応じて中小企業家同友会や二水会の集まり、川崎市の事業承継塾などに参加して、見聞と視野を広げるとともに、トップとして欠かせない「責任」についても体得していった。
■コロナ禍を機に改革
そうした中、会社を大きく揺るがすことになったのがコロナ禍だった。事業環境の悪化のみならず、先の見えない不安を背景に、社員たちの気持ちも揺れ、離職者も発生した。経営学の教科書的にはまさにピンチだった。だが千佳子社長は、これを改革のチャンスと捉え、利用した。
例えば、秀雄会長が長年にわたりトップダウンで決めていた組織運営を、社長と執行リーダーの合議制に改めた。あるいは報酬体系も、業績や成果に連動するものに切り替えた。もちろん抵抗は少なくなかったものの、正しい道だとの考えは揺るがなかった。そのかいあって最近は、社長と社員の会話が目に見えて増えているという。
同社を、令和の世に即した形に“再加工”していく千佳子社長の取り組みは、今も続く。「家族を動かすことができたのだから、会社も動かせるはず」。そう語る口調には、国際経験と家族を守り、時には導いてもきた主婦の経験に裏打ちされた自信が、間違いなく宿っている。
取材 かながわ経済新聞